if 〜もしもヒロシが女の子だったら 1 やぎゅうひろし 自分はずっと“おとこのこ”だと思っていた。 だけど、生まれたときから自分にはついている筈のモノがなかった。 それを疑問に思いながらも両親に問いかけることはタブーだった。 理由はわからない。 小学校5年生のときに保健の授業で自分が生物学的におんなであることを知った。 そしてそれは比呂士の中に深い傷となって残った。 自分は“おんなのこ”なのだと。 やがて比呂士は思春期をむかえた―… 「ヒロシー、はよ帰ろうぜ。着替えんしゃい」 ダブルスを組んでいる仁王が、早く帰りたそうに座っている椅子をガタガタと揺らしていた。 練習も随分前に終わっていて、残っているのは比呂士と仁王の二人きりだ。 仁王はとっくに着替え終わっていてわざわざ待ってくれている。 待たせているのだから早く着替えないといけないのに、比呂士は手際悪くのろのろと着替えをするばかりだった。 仁王に着替えているところを見られたくない。 最近、胸が膨らみ始めたのだ。 今までたいした変化も無かったのに、ここ数ヶ月で徐々に変わってきている。 みんなで着替えをする中、胸を隠すのに必死だった。 バレたらどんな目に合うかわからない。 変態と罵られて退学しなければいけないかもしれない。 悪い想像ばかりが膨らんで、ここのところ比呂士は暗くなりがちだった。 「どーしたと?」 そんな様子に気付いたのか、帰り道仁王が顔を覗き込んできた。 「何でもないですよ」 「フーン…、そっか」 「はい」 仁王は勘がいい。 今比呂士の周囲の人間で一番気付くチャンスがあるのは仁王だった。 (仁王君にだけは気をつけなくては…) いつも一緒にいるだけに比呂士の心の休まる日はなかった。 そんなある日、転機が訪れる。 その日比呂士は委員会で部活に出るのが遅くなってしまった。 もう部員はみなコートで練習を始めていて、それを横目に小走りに部室に向かう。 当然部室の中は誰もいなくて、だから比呂士は油断していた。 いつもなら見られたくない身体を隠すのに、慌てていたこともありラフに脱ぎ散らかしながら着替える。 そこに思わぬ人物が入ってきた。 「アー、忘れモンしたぜよ」 仁王だった。 上半身は裸で、下半身も下着だけ。 下はともかく、上は明らかに胸を晒してしまっていた。 「仁王君……」 「……乳…、」 仁王はポツリと呟くと、呆然と比呂士の身体を見入っていた。 状況が掴めないのだろう。 お互いに一歩も動けず何も言えず、どのくらい経ったのか分からなくなった頃 「仁王ー、何やってんだよ!」 と、遠くから仁王を呼ぶ声がした。 二人はその声にハッと我に返る。 「今行くぜよ!」 仁王は叫んで返事をすると、忘れ物を探し始めた。 比呂士は(もう遅いかもしれないが)慌てて胸を隠して、着替えを再開する。 部室の中に嫌な沈黙が落ちた。 衣擦れの音と探し物をする音だけが響く。 (どうしよう…、仁王君にこんな形で見られてしまった…!) 比呂士は気が動転してしまった。 練習着には着替えたものの呆然と立ち尽くす。 それを見た仁王は、まるで何事も無かったかのように 「何やっとると?」 と、声をかけてきた。 (…気付いてない?) あまりにも変わらないその態度に比呂士は半信半疑だ。 「はよせんと真田がまた怒りよるぜよ」 「…そ、そうですね。では先に行きます」 言われて部室を後にした。 もしかしたら、仁王は本当に気付いていなかったのかもしれない。 さっきの態度がいい証拠だ。 自分は心配しすぎたのかと、比呂士はほんのちょっぴり安堵していた。 が、もちろんそんな筈はなかった。 2 におうまさはる (な…、なんじゃ!!今のは!!) 仁王は混乱していた。 チームメイトがどうみても女子と同じ身体をしていた。 下は見てないから分からないが、胸には確かに変な膨らみがあった。 (あいつ…、変なビョーキにでも罹っとると?) しかし身体が女性化する病気など聞いたことも無い。 理解の範疇を超えた事態に、仁王は頭を抱える。 とりあえず現実を受け入れるしかない。 仁王は冷静に気持ちを落ち着けると、まず比呂士の身体を確かめようと思った。 (まずはそれからじゃ) 忘れ物を手にコートに戻ると、端っこで比呂士がストレッチをしていた。 そこに近づく。 「よー。手伝おか?」 「仁王君…、いえ、いいですよ。もうすぐ終わりますし」 いつもなら二人でストレッチを行っているのに、何か警戒をしている雰囲気だ。 怪しい。 混乱が次第に具現化してくる。 「遠慮せんでもよかよ」 と、言うと半ば強引に背後に回った。 そして隙をついて両腕と脇の間から掌を滑り込ませると、胸をギュッと掴んだ。 「…ひゃッ」 予想外の行動に比呂士が聞いたことも無いようなか細い声で喘いだ。 そして掌の中の胸は、微弱ながらも確かな膨らみを持っていて柔らかい。 (こいつ、女じゃ…!) 仁王は確信した。 比呂士は真っ青になっていた。 そして嫌とも離してくれとも言わず、小さく震えている。 胸をそっと優しく揉みしだく。 すると比呂士がもっとビクビクッと戦慄いた。 「に、仁王君…」 比呂士は俯いて、唇を噛んでいる。 「あ…、悪ィ」 パッと手を離す。 「いえ、いいです」 と、言うと一歩仁王から逃げてストレッチの続きを始めた。 結局部活の間中、一度も目を合わせることは無かった。 (なんであいつは男の姿をしとるんじゃ) (それにこれからどうしたらエエんじゃ?) (…ようわからん) 確信はしたものの、返ってどう扱っていいのかわからない。 隠しているものを暴露するほど浅はかでもなかった。 いつもなら一緒に歩く帰り道。 仁王は一人で歩きながら、オレンジ色に染まった夕暮れ空を見上げて溜息をついた。 end. (2006/3/29) |