「んっ、ンっ」 自室のベッドの上で仁王は自分を慰めていた。 その脳裏には、あの日の柳生の姿と声と感触が浮かんでいる。 記憶の中の柳生は酷く生々しくて、そして熱い。 僅かながらでも繋がり合っ感覚はいまだ醒めることなく鮮明だ。 「くッ」 挿入した記憶が蘇えったとき、ビクッと震えながら仁王は絶頂に達した。 自らの掌のなかに熱い迸りを吐き出す。 ビクビクっと痙攣する性器を見つめながら 「フー…」 と、深呼吸をした。 終わったあとは、いつも虚しさが怒涛のように押し寄せてくる。 押入れ3 〜近くて遠い僕らの距離 あの日から、柳生はよそよそしくなっていた。 (別にハジメテってわけでもなか) (そりゃ怖いじゃろーけど、なんであんなに警戒されんといかんのじゃ) 苛立ちは次第に不満へと変わり、最近は柳生に対してそれを隠そうともしなくなっていた。 つまるところ、今の二人はとてもギクシャクした関係だ。 周りに人がいれば表面上は上手くやれる。 けれどひとたび二人きりになってしまえば、訪れるのは気まずさと微妙な沈黙の時間。 柳生はしきりに距離を取ろうとして、仁王はそれに更に苛立つばかりだった。 「なんでそんなにビクついとるんじゃ」 半ば強引に自宅に招きいれて問い詰めた。 「答えろよ」 優しさのかけらもなく言い放つ。 柳生は蛇に睨まれた蛙のように、小さくなって俯いた。 「……怖いんです」 「は?」 「貴方が怖いんです」 「怖いって…俺が何かしたんか」 剣呑とした声で言い返しながら、あの日のことを言われていることはわかっていた。 「…この間のことです。その…、とても痛くて、」 「ちゃんと途中でやめてやったろーが」 わかっていることを言われると、無性に腹立たしくなった。 怒りが伝わったのか、柳生はすっかり萎縮してしまう。 泣きそうな表情で下ばかり見ている姿に、仁王はうんざりする。 (こんな関係になりたかったわけじゃなか…) 後悔したところでそれが変わるわけではない。 むしろ距離の縮め方がわからず、仁王は頭を抱える。 追いかければ追いかけるほど柳生が逃げていく気がした。 暫くの沈黙のあと、おもむろに柳生が口を開いた。 「……仁王君は、その、したいのですか?」 「そりゃしたいわ」 「…私はあまりそういう行為は好みません」 「それはしとーないち言うことか」 柳生は俯いたまま、小さく頷いた。 少なからずショックだった。 好きだったら少しでも触れ合っていたい。 それはみんなが持っている感情だと思っていた。 けれど、柳生はそれを拒む。 最初に与えられた苦痛に恐怖しているのか、それとも男同士、肌を合わせることに嫌悪感があるのか。 わからない。 ただ一つ言えるのは、柳生と付き合っていく以上、それを受け入れるしか道は無いということだった。 「…エエよ」 柳生が顔を上げる。 仁王はそれを突き刺すほどに見つめながら言った。 「オマエがしとーないんじゃったらせん。それでよか?」 「……はい。ありがとうございます」 柳生は頭を下げながら、やんわりと微笑んだ。 それ以来、なるべく身体の接触を避けた。 練習中は仕方ないとしても、二人きりのときでも一定の距離を保つ。 積み重なる欲求を隠し、一人でこっそり処理をした。 それで何もかもが上手くいった。 気まずかった空気は徐々に和らぎ、柳生は以前のような笑顔を取り戻しつつある。 二人きりの時間も息の詰まるような苦しさは色を失くした。 (このまんま我慢さえしとったらよか) かなりの忍耐を要したけれどできないことでなかった。 そう、触れ合いさえしなければ。 それは、休日練習の帰りの電車の中での出来事だった。 「うわっ、えらい混んどるのう」 「本当ですね、酷い混雑です。やはり休日はみなさんどちらかに出掛けるんですね」 「1本遅らそか?」 「次も空いている保障はありませんよ。これに乗りましょう」 「ンー」 二人は、すし詰めの車内へと強引に乗り込んだ。 「苦し…」 「柳生、コッチじゃ」 互いに長身のおかげで相手を見失うことはなかった。 流れに飲まれそうになっていた柳生の腕を探り掴んで引き寄せる。 確保していた扉側のスペースに柳生を押し込んだ。 「ココじゃと楽じゃろ」 押しつぶされないように背中で周囲をガードしながら、柳生に向き合った。 「はい。ありがとうございます」 助けて貰った感謝の言葉を口にしながら顔を上げた柳生が、思ったよりも近かったのは不可抗力だろう。 仁王も、柳生も、こんな近くから相手をまともに見るのは久しぶりだった。 一瞬、時が止まったかのように、二人は視線を絡ませあう。 流れるのは微妙な空気。 周囲は電車の揺れる音と溢れかえった人でうるさいはずなのに、それが耳に入ってこない。 聞こえてくるのは、柳生の息遣いと鼓動だけで。 混雑のせいで密着した身体が嫌がおうにも相手を意識する。 (…ヤバい) 制服越しでも熱を感じるこの距離は非常にやばい。 仁王は唯一動かせる顔を逸らせた。このままだと変な気を起こしそうで怖かった。 そんなことを知ってか知らずか 「やはりもう1本遅らせたほうが良かったんでしょうか」 と、柳生が申し訳なそうに呟いた。 「どっちでも一緒じゃろ。ちっと我慢じゃ」 「すみません」 「謝るコトじゃなか」 顔を背けたまま、気を使う柳生を安心させようとして言った。 けれど、本当は今にも溢れ出しそうな性欲と身の内で格闘していた。 身体を離せば、きっと我慢もできる。 しかし溢れかえる人のせいで、僅かな隙間を取ることも困難だった。 触れ合った身体のあちこちが熱い。 熱がじわりじわりと下肢に集中していくのが止まらない。 (マジ、ヤバいって) (こんなことになるんじゃったら、昨日ヌいとけば良かったぜよ) 最近は忙しさもあり、しばらく自分でもしていなかった。 そのせいかふとしたことですぐに興奮を煽られる。 (あと、一駅じゃ) 我慢の甲斐あってか、降車する予定の駅がまもなく迫っていた。 もう少しの辛抱でこの拷問から逃れられる。 そう思ってフッと詰めた息を吐いたそのとき、ガタンッと電車が大きく揺れて止まった。 予想外の揺れに、乗客たちが一定方向へ傾く。 「…つッ」 それは背中で受け止めるには、重量があり過ぎていた。 支えきれず、そのまま柳生の身体を押しつぶす。 「ンッ」 乗客の体重を一身に受けた苦しさに、柳生が声を漏らす。 それが鼓膜に届いた瞬間、我慢の限界に達した。 蓄積された熱は確かな形となって持ち上がり、下肢の制服を押し上げる。 それは密着した柳生の太腿にグイッと当たり、その存在を主張してしまった。 (…勃ってしもうた) きっと柳生は気付いただろう。 もうおわりだ。 意思とは反して見事に反応した身体を心の底から恨んだ。 柳生を横目に盗み見る。 俯いた横顔は、明らかに動揺していた。 “二度としない”と誓って以来、仁王は接触だけでなく性欲もきっちりと隠し切っていた。 柳生が不安がらないように、漢の匂いを見せないようにしたのだ。 (ショックじゃろうな) 熱の昇る身体とは裏腹に、冷静になっていく思考で柳生を見つめる。 約束を守れなかった自分が歯痒かった。 「…悪ィ。もうちっとで着くけェ、我慢しんしゃい」 耳元で囁くと、柳生が驚いて顔を上げた。 ジッと見られているのが感覚でわかる。 けれど見返すことはできなかった。 駅で事故が発生したとアナウンスが流れると、周囲が急にざわつき始めた。 そんな周りをよそに、仁王は冷や汗を流す。 擡げた熱は治まることなく、今も柳生の太腿に擦り付いたままだ。 布越しとは言え、これほど辛い状況はない。 背中が震えた。 五分ほど経過した頃、漸く二度目のアナウンスが流れ運行の再開を告げる。 仁王はホッと安堵した。これでやっと抜け出せる。 そう思って気を抜いたのがいけなかったのか。 電車が動き始めたとき、ゴトンっと僅かな揺れではあったが乗客がまた傾いた。 再び背中を押され、更に柳生に密着してしまう。 太腿に押し付けていた股間が、動きでずれる。 両足で踏ん張る間も無く、それは柳生の股間に正面から重なってしまった。 (しまった) と思ってももう遅い。 いきり立った熱は柳生の股間にしっかりと当たる。 ずらしたくてもこの混雑では動かすこともできない。 そればかりか、偶然が生んだ状況で熱はさらに高ぶった。 柳生と股間を合わせている。 そう思うだけで、下着の中ははちきれんばかりに膨張し出口を求めてズクズク疼き始めた。 仁王は柳生の肩に額を擦り付けて、震える身体の熱を諌めようと踏ん張った。 それをどう思われようと、気にする余裕など今は無い。 自分がすべきことは、いきり立ったこの熱を鎮めることだけだ。 けれど、電車はさらに追い討ちをかける。 運行の微弱な振動が二人の身体に揺れを起こし、擦り合わせるはめになってしまった。 股間にまともな刺激を受けて、困惑したのは仁王だけではない。 柳生の股間が膨らみを持ったのだ。 仁王のそれが押し付けられるたび、柳生はこっそり唇を噛み締めていた。 自分に向けられた確かな性欲。 忘れたかった感覚が、波のように押し寄せ、その身を焦がす。 ―‐恥ずかしい。 そう思っても逃げ場などなく、股間が重なったとき興奮が天に昇りつめる。 仁王は、異変にすぐに気付いた。 興奮しているのは自分だけではない? 驚きで顔を上げると、柳生と視線が絡まり合う。 柳生は眉尻を下げて、震えていた。 それが雄の本能を刺激することも知らずに。 仁王は生唾をゴクリと嚥下しながら、無意識にグイグイと股間を押し付ける。 すると柳生はビクッビクッと身体を撓らせた。 ――抱きたい。 ひた隠しにしていた感情が、堰を切って溢れ出す。 身体を支えていた腕を離して、柳生の掌を握り締めた。 柳生は怯えていた。 けれど、手を振り切られたりはしなかった。 指を絡ませようとすると、それには応えてくれる。 片方だけだったけれど二人はしっかりと掌を握り締めあった。 駅に到着しても手を離さなかった。 柳生もまた、離そうとする素振りすらも見せなかった。 そして構内の公衆便所へと駆け込む仁王に、何も言わず大人しくついてくる。 染み付いた独特の異臭が鼻についたが、そんなことを気にする余裕は無かった。 誰もいないのを確かめながら一番奥の個室に柳生を連れ込む。 壁に身体を押し付けて、顔の両横を腕で挟み込むと真正面から見据えた。 「…どうして逃げんのじゃ?」 今から何をされるか、きっと予想できているだろうに。 「……わかりません」 「今、俺が何したいかわかるか?」 柳生は口を噤んだ。仁王は返事を待たずに続ける。 「今すぐおまえを抱きたいんじゃ」 すると柳生は左右に首を振った。表情は引き攣り青褪めている。 また、怯えさせてしまった。 「俺が怖いと?」 「……はい」 「するンはイヤか?」 肝心なところになるとまた黙り込む。 はっきり言えないのは、何度も拒否することへの躊躇いか。 柳生がノーと言えば、仁王は先に進むことができない。 「俺が嫌いか?」 訊ねると柳生はまた首を振った。 「…好きです。貴方のことが好きです」 真摯な瞳だった。柳生のそれがあまりにも真剣で、仁王は驚きを隠せない。 「俺も、好きじゃ」 ゆっくりと顔を近付けると、決して触れないように耳朶に唇を寄せた。 「キスしたか」 吐息がかかると、柳生はビクッと震えた。そしてゆっくりと瞼を閉じる。 OKのサインだ。 仁王は強引にならないよう、ゆっくりと唇を重ねる。 久しぶりに触れた唇は驚くほど柔らかく、そしてしっとりと熱かった。 熱が上昇する。 もっと、もっと触りたい。 緩く重ねただけですぐに離れると、真正面からジッとレンズの奥を見つめた。 「抱きたい」 柳生の視線が泳いだ。 「逃げるんじゃなか」 吐息が熱い。 荒れ狂う股間が下着の中で張り詰めて、痛いほどだ。 壁に押し付けた両の掌がじっとりと汗ばむ。 「俺はおまえが好きじゃ。好きじゃけェ、抱きたい。自分のものにしたい。…それがそんなに怖いか?」 柳生が黙ったままなのは変わらない。 「…してもエエか?」 「仁王君…」 「頼むから“エエ”て言うて」 必死さが伝わったのか。柳生の濡れた瞳が揺らめく。 「俺はオマエをレイプしたいわけじゃないんじゃ。オマエが嫌なことは絶対にせん。じゃけェ、“うん”て言うて」 なりふりかまってなどいられなかった。我慢を超えた欲求不満に、思考は真っ白だ。 柳生はギュッと目を閉じると、掠れた声で 「…はい」 と呟いた。 それが契機だった。 壁に押し付けていた腕を離し、柳生の身体をきつく抱き締める。 「…仁王君ッ!」 勢いに、腕の中の柳生が逃げようとする。 逃がすまいと押さえ込んで 「好きじゃ」 と囁いた。 柳生はすっかり強張っていて、けれど下肢の熱は硬さをもったままだ。 それが仁王を後押しした。 興奮しているのは自分だけではないと。 仁王は下半身だけを脱がせ二人の性器を取り出すと、天井を向いてそそり立ったそれを擦り合わせた。 「あッ、ぁッ…」 耳元で甘く喘がれると、全身から一気に汗が噴き出た。 柳生の声も下肢もすっかり濡れている。 割れ目からは透明の雫が滴っており、感情表現の苦手な柳生の興奮を伝えている。 男同士に嫌悪感があるわけではない、と。 ぐしょぐしょに濡れた性器を数回掌で扱く。 「やぁっ!」 と、悲鳴にもにた嬌声とともに柳生の身体が痙攣した。 同時に掌の中の性器が白濁を噴き出す。 早い。 仁王は純粋に嬉しいと思った。自分が与えた刺激に柳生の身体は悦んでくれている。 そう思うと感情の高ぶりが頂点に達した。 興奮に頬を熱くした喘ぎに、視覚と聴覚からも煽られる。 追いかけるように、身体の中を熱の奔流が駆け巡った。 「…――くッ!」 柳生の痙攣を感じながら、ビクビクっと掌を汚す。 気持ちいい。 挿入したわけでもない。手で扱いただけなのに、頭の中も身体も爪の先まで全てが絶頂に達した。 たった一分にも満たない時間に、二人の熱は確かに混ざりしっかりと溶け合っていた。 「痛うなかったじゃろ?」 抱き締めたまま訊ねると、柳生は恥ずかしそうに 「はい」 と、言った。 「まだ怖いと?」 「…少しだけ」 と答える表情はとても穏やかなものだった。 「そのうち怖うのーなる」 「…はい」 「また…してもよか?」 柳生は黙ったまま、そっと背中に腕を回してきた。 end. (2006.6.4) |
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