柳生が消えた。あまりにも突然に。 テレビ 第四話 今日は久しぶりに昼から出掛けた。夜には帰って来ると言っておいた。 けれどいざ家に戻ってくると、部屋の中には何もなくなっていた。 「柳生…?」 カーテンすらも取り払われて、大きな窓の外には都心の夜景が輝いている。 ガランとした空間で一人、呆然と部屋の中を見回した。 その真ん中にポツンとテレビが一つ置かれているだけだった。 それが仁王に残された唯一のものだった。 このテレビを欲しいとねだったのは仁王だ。柳生は部屋が騒々しくなると嫌がっていたのを思い出す。 柳生は仁王に関する全てのものを断ち切ったのだ。 仁王はフラフラとテレビの前でへたり込んだ。 そして思い知った。 柳生がどんな想いで、仁王に自分の気持ちを告白をしたのかを……。 いったいどうしてやればよかったというのか。 柳生と別れてから次の住処を見つけるまで、さほど時間はかからなかった。 新しい女のところに転がり込んで、ボーイのバイトをしながら食いつないでいた。 また以前と同じ生活に戻っただけだ。 たいしたことじゃない。 そう思う反面、頭の中には常に柳生のことがこびりついていて離れなかった。 (俺はどうしたんじゃ) いつもなら、捨てられたらそれまでだった。追いかけることもしないし、何の情も残らない。 けれど今は、女の柔らかい身体を抱きながら考えるのは柳生のことだった。 (せめて働いとる病院くらい聞いとけば良かったぜよ) 連絡先もわからなくなった今、仁王にはどうすることもできなかった。 仁王にとってセックスは重要な生活源の一つだ。 だから行為の最中は相手のことを最大限に考えている。 けれど一度男の締まり具合を味わったせいか、単に女の性器が使い込まれて緩んでいたせいか、 どんなに激しく動いても、なかなか絶頂に達することができなかった。 (イケねェ) 女の身体でイケなければイケないほど、思い出すのは柳生のことだ。 柳生の淫らな姿を思い出すと、脳が興奮に達してようやく女の膣内に精液を吐き出すことができた。 そんな様子に気付いたのか、女はときおり「誰のことを考えてるの?」と聞いてきた。 「おまえのことに決まっとろーが」 軽く流して相手にはしなかったが、内心は動揺していた。 頭に浮かぶのは、柳生だったから。 けれど女は納得しなかった。 不安からか異常なほど仁王を求めきた。 仁王はそれに応えるために、更に柳生のことを考えるようになる。 悪循環だった。 「もうムリじゃ」 ある日女に告げると、女は狂ったように怒った。 キッチンにあった包丁を持ち出すと迷うことなく仁王へと向かってきた。 「何を――…っ!」 ビリッと何かが破ける音がした。 耳鳴りがして汗が噴出す。心臓がドクドクと激しく動いた。 痛い。腹が熱く、猛烈な痛みに襲われている。 見ると、腹部がみるみるうちに鮮血に染まっていく。 漸く自分が刺されたのだと理解した瞬間、意識が飛んだ。 むかし、誰かに「いつか刺されるぞ」と言われたことがある。 そのときは「そんな下手は打たねーよ」と、言い返した。 蘇った記憶と混濁した意識が混ざり合い、仁王は重く暗い淵をさ迷っていた。 (ここは…、いったいドコじゃ) そう思った瞬間、世界が白く明るくなった。 重い瞼が薄く開く。 見上げると、白い天井が見えた。何度も瞬きをする。 (ドコじゃ…) 起き上がろうと身じろぐと、腹部に激痛が走る。 「くっ…」 呻いて痛みが和らぐのを待った。 首だけを動かして辺りを見回すと、ここはどうやら病室のようだった。 声を出そうとして、自分が酸素マスクをつけていることに気付く。 ようやく女に刺されたことを思い出す。 (病院に運ばれたんじゃの。ダサすぎじゃ) 自分の間抜けぶりに内心溜息をつく。 暫くすると看護士がやってきた。 看護士は仁王の意識が戻っているのに気付くと、医師を呼びに行くといってすぐに出て行った。 やってきた医師を見て、仁王は驚きを隠せなかった。 「大丈夫ですか。仁王君」 それは柳生だった。 「君らしいというか、もう新しいねぐらを見つけていたのですね。 挙句の果てにその女性に刺されるなんて、まったくお似合いだ」 らしくない、辛辣な物言いだ。 「ご両親に連絡しました。こちらで好きにしてくれと言われましたよ。 親にすら見捨てられているなんて、いったいどんな人生を歩んでいるのですか」 仁王は黙って聞いていた。 もっとも酸素マスクをした状態では、言い返したくとも叶わない。 「命に別状はありませんので、傷が回復したら退院できます。 どうせ入院費もないのでしょう?出しておきましたので」 柳生は言いたいことだけ言うと出て行った。 静かに締まった扉を見つめながら、仁王はこの病院に運ばれてきた不幸を呪った。 こんな状況になった今、一番見たくない顔だったかもしれない。 詰らない人生を送っていようと、なけなしのプライドはあった。 情けない姿を見られて胸糞が悪い。 早く退院してさっさと柳生の前から逃げ出したい。 動かない身体をもどかしく思いながら、仁王は再び目を閉じた。 傷口が閉じると、ほどなくして仁王は退院の日を向かえた。 「行く当てはあるのですか」 荷物を纏めていると白衣姿の柳生が部屋に入ってきた。 「……おまえに関係ないじゃろ」 「そうですね」 と、言いながら、柳生は立ち去らない。 「まだ何ぞ用事でもあると?」 「これ、私の部屋の鍵です」 と、差し出されたのはマンションのカードキーと住所を書いた紙切れだった。 「また俺を囲う気なん?柳生センセ」 からかってやると、頬を打たれた。 「ッ…!」 「勘違いしないで下さい。もう君との関係は終わっています。 これは、また死にかけて運ばれてくるのは勘弁して欲しいからです。同情ですよ」 冷たく突き放す言い方だ。 腹の底からグツグツと怒りが湧き上がる。 ここが柳生の職場でなかったら、10倍にしてぶちのめしているところだ。 仁王はキーと紙を奪い取ると、荷物を担いで病室を出て行った。 病院を出ると、真っ青な初夏の空が眩しかった。 木陰に移動して、掌の中の紙切れを見る。 柳生の言うとおり、行くところなんてなかった。結局は同情に縋るしかないのだ。 「はは……情けねェ人生」 手にした紙をくしゃくしゃにして、コンクリートの地面に力いっぱい叩きつける。 仁王は初めて味わう惨めな屈辱感に唇を噛み締めた。 >> |
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