テレビ 第三話 (まさか、あそこで本気で舐めるとはなァ) 落ちかけの灰を灰皿へトントンと落とし、煙を鼻と口の両方から吐き出す。 男は初めてだった。 多分柳生もそうなのだろう。お世辞にも慣れているとは言えない身体だった。 (しかも、具合良すぎじゃし) 女のようには濡れはしないが、張りのある筋肉に締りのいい身体。仁王はすぐに夢中になった。 うっかりハマって気付けば半年である。 男を抱く生活に慣れつつあった。 「休みの日くらいどこかに出かけませんか?」 柳生の仕事が休みだったある日の午後。 そう言われると特に断る理由も無いので、二人でドライブをすることになった。 柳生ご自慢のセルシオに乗って、目的地も聞かされず高速を走る。 到着した先は、家族や恋人・学生たちが戯れる大きな花見公園だった。 さざめく桜並木。 春の風が吹き付けると、舞い散った花びらが辺りを薄紅色に染める。 「…なんじゃ、ここは」 目の前の美しい景色に、仁王はうんざりした。夜の世界で生きてきた自分には一番縁遠い場所だ。 「何って桜ですよ」 「そんなん見たらわかるわ。なんで俺がこんなとこに連れて来られないかんのじゃ」 文句を零す仁王をよそに、柳生は手近な桜の木の下にシートを敷いた。 もっていた鞄から重箱と日本酒のカップを取り出す。 「さあ、仁王君座りたまえ。お花見です」 柳生はとても楽しそうだった。 「君は日頃テレビばかり見ていて、少し不健康すぎます。たまにはいいと思いませんか?」 用意してもらった日本酒をちびちび飲みながら、柳生の話を聞くしかなかった。 「…。このメシ、おまえが作ったと?」 豪勢な重箱を顎で指し示して聞くと、「はい」と返って来た。 「フーン」 「口に合いませんでしたか?」 「いや、美味いぜよ」 そういうと、柳生はやはり嬉しそうに笑った。 (こんなんまるでホモのカップルみたいじゃ) 仁王はゾッとした。 何となくついてきてしまったが、柳生の行動は女のそれである。 こういうごく普通のデートの類は苦手だった。 柳生の楽しそうな顔を見ると、苛ついた。 苛立ち紛れに、帰りの車中で柳生を抱いてた。 遊び半分に触っていたら、柳生はすぐに喘ぎだしたので、思わず興奮が高まり本気になる。 「んっ、ひっ、あぁっ」 狭い車内に柳生の濡れた声と、下の口から湿った音が響き渡る。 後が大変だからと最後はティッシュの中で吐き出した。 柳生は「外でこんなこと…」と嫌がりながら、でもどこか嬉しそうだった。 行為が終わり、荒くなった息が静まってきたころ、窓から外を見上げるとポツリポツリと雨が降り始めた。 きっと先ほどの公園の桜はほとんど散ってしまうだろう。 柄にも無くそんなことを考えながら、ふと思った。 (こいつはいったいいつから俺のことが好きなんじゃ?) 汗と精液で汚れた身体を拭いながら、聞いてみた。 「どうしてそんなことを聞くのですか」 「別に、好奇心じゃ」 「仁王君らしい。…――中学の頃からですよ。君に再会したときは心臓が止まるかと思いました」 「フーン」 「もう好奇心はお終いですか?」 「ンー…」 「仁王君、私は君が好きです。だからいつまでもこのままでいたくはありません。 私のパートナーになってもらえませんか?」 真剣な眼差しに寒気がした。 背中がじわりと汗ばむ。 「君が男性を好きではないとは知っています。でもだからこそ今の状況はつらいのです」 「何、言うとんじゃ。男同士で付き合うなんてキショいわ」 「でも君は現に私とセックスをしている、これがどういう意味を持つかわからないはずは―、」 「うるせェ!俺はホモじゃなか…っ。男と付き合いたいんじゃったら、他当たれよっ!」 仁王の怒りが天に届いたのか、地に降る雨が激しさを増す。 春とはいえ下がり始めた気温に、柳生は車内に暖房を入れた。 機械仕掛けのぬくもりが足元から伝わってくる。 仁王は苛立ちを抑えられなかった。 「帰る」 と、呟くと春雷告げる空の下に勢いよく走り出た。 肩にあたる雨粒は冷たくて、痛い。 背後で柳生が何かしら叫んでいたけれど、雷の音にかき消されて何を言っているのか聞き取れなかった。 帰ると息巻いても、結局帰るところは一つしかない。 柳生のマンションにたどり着いたのは深夜に近い時間だった。 一向に止まない雨のせいで、下着の中もぐしょぐしょに濡れている。 玄関を上がると、柳生は寝ずに待っていた。 「…おかえりなさい」 と濡れた姿に驚きもせず、準備しておいたのかタオルを差し出してきた。 「俺はホモじゃなか」 タオルを受け取らず、じっと一点を見詰めて呟いた。 「…そうですか」 「俺が好きなンは金だけじゃ」 「…はい」 「じゃけ、おまえはキショいんじゃ」 そこまで言うと、黙って聞いていた柳生の頬が微かに引き攣った。 「俺、ここにはおらん。ホモの傍には居りとうなか」 「…そうですか」 「ああ」 玄関の床には水滴がポタポタと落ちていた。染みが徐々に広がっていく。 「さあ、取り敢えず熱いシャワーでも浴びてください。このままでは風邪引きますよ」 と、大きなタオルに包まれた。 言われるままにシャワーを浴び、柳生が準備してくれたパジャマに着替える。 リビングに入ると柳生はソファでぼんやりとしていた。 「私は中学のときに君とテニスでダブルスを組んだときから、君が好きでした。 あの頃自分のこの性癖と向き合えなくて苦しかった。 誰にも言えなくて、でも毎日君の事ばかり考えていました。 テニス部を引退して君とはそれきりになりましたよね。私はそれでいいと思いました。 これ以上何を望んでも、叶うことがないと思っていましたから。 でも、違った。あれから十年が経って、君は私の目の前に立って、私の元に降りてきてくれた。 この半年間、君と生活が出来て本当に幸せで、これはきっと神様がくれたチャンスなのだと思いました」 一気にまくし立てたあと、柳生は一呼吸置いて入り口に立つ仁王を振り返った。 「仁王君…、私とともに人生を歩んでくれませんか。私には君が必要なんです」 声が震えているように思ったのは気のせいではないだろう。 仁王は困惑した。 男女で言うならば、きっと結婚を迫られている状況だ。 道徳観念の薄い仁王は、実際のところ口で言うほどゲイを嫌悪していなかった。 でなければ、男を抱ける筈は無い。 本当は、柳生の「本気」が怖いのだ。 ゲイを毛嫌いすることで真実から逃げていた。 「……マジ勘弁。俺らはそういう関係じゃないじゃろ」 目を逸らして、それだけ言うのが精一杯だ。 真摯な双眸を見返してやる勇気は無かった。 柳生はもう何も言わず 「そうですね」 と、淋しそうに笑っていた。 これでまた元通りの生活に戻れる。そう思っていた。 根無し草の人生を選んだのは自分だ。 高校を卒業すると、恵まれた容姿と天性の機転を生かして女の懐にもぐりこむ術を身に着けた。 唯一努力したことといえば、セックスのやり方。 女を悦ばせ、金を落としてもらうためには必要なことだった。 そんな女たちもやがては、色んな理由で仁王の前から消えていった。 新しい愛玩物を見つけた女。 まともな男と結婚するといって消えた女。 最低人間、と罵って去っていった女。 誰もが仁王に金と物を与え、そして何も望むことはなかった。 この男に何を望んでも、所詮は無駄なこと。 誰しもがそう思っているのが見て取れて、仁王もまた女とはそういうものだと思っていた。 だから、自分自身を求めてくる柳生の行動は気持ち悪い。 仁王には柳生を受け入れる権利も拒否する権利も与えられていた。 なのに自分がどうしたらいいのかがわからず、柳生の気持ちに真正面から向き合うことができなかった。 そして、それを後悔することになる。 それから数日後、柳生は姿を消した。 >>NEXT |
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